天の声に従ったらカウンセラーになっていた

てんつく発・根本育ちのカウンセラーが、自分軸で人生を生きることを試みる一挙手一投足

けっこう難しいことを考えていた子ども時代

こんにちは
てんつく発🌱根本育ちのカウンセラーはるなです

子どもの頃によく考えていたことを
ふと思い出したので
忘れないように書いておきます



8才のとき、急性虫垂炎で手術を受けました
腹膜炎の手前だったそうで
完治まで手術を3回受けました

もしこれが外科手術のない時代や
スラム街の孤児だったなら
確実に苦しみながら死んでたなぁ
今の日本に生まれて良かったなぁ
そうベッドの上で思いました


自分はラッキーだったと思うと同時に
同じ病気になっても
苦しみながら死ぬしかなかった人たちと
助かった自分とは紙一重の存在で
条件がちょっと違っただけだと悟りました
自分が今ここにいることが奇跡だと思いました


生まれる時代が違ったら
生まれる場所が違ったら
私だって生きたくても生きられなかった


歴史や世の中のことを知るにつれ
また、悲しいニュースに触れるにつれ
ちょっとしたボタンの掛け違いで
私がそうなっていたかも知れない
そんなことをしみじみ考えるようになりました


中学生になって、
難民の餓死寸前の小さな子の写真を見る機会がありました
その子はおそらく助からなかったと思います


安全である
家族がいる
家がある
水や食べ物がある
遊べる
習い事もさせてもらえる


自分に今与えられているものは
決して当たり前ではない


恵まれた環境で生かされていることに感謝し
それを糧として常に向上しなければ
命の無駄遣いになる


「あの写真の子」ではなく「私」が今生きているのは
私にも何かの役目があるからだ
その役目を果たさないと
私を生かした神様やあの子に申し訳が立たない

私よりあの子が生きていたほうが
ずっとずっと世の中のためになっていたかも
知れないのに…


発想が飛躍してしまうのは
さすが中二病(笑)



・世のため人のために生きること

人として当たり前のことだけど、
私のベースはそれが強いのかもしれません


ほんのちょっとでもいいから
私が誰かの何かの役に立てたなら
私は自分がこの世に存在することを許せる



人間の生き死にをずっと考えて
こんな風に思っていた子ども時代でした!